面接官「正直に言って、今話してもらって、印象が悪い。好感が持てない」
私(社会的に生きてる意味ないよね~知ってる)
自己紹介と志望動機等を一通り話した後にこれです。
メモをとっていなかったので、記憶頼りであることに加え私がどう受け取ったか、になるので、下にどんなことをいわれたか書きますけれど内容は大体あってると思うんですが実際にはもっとオブラートに包まれて話されていただろうことを先に明記しておきます。
「今まで七十社ぐらい受けてきたらしいけれど気付いてない? 営業職向いてないよ」「営業職っていうのは、最後には商品やサービスじゃなくて担当する人だから。その担当者に好意を持っていて、○○さんがいうなら、ということで仕事を任せてくれることが多いんだけれど、××さんはそういうのに向いてないよ」
「笑顔がない」「無表情」「何を考えているかわからない」「能面のよう」といわれ満面の笑みとはいかずとも笑みを浮かべていたつもりだった私は言葉にできないありさまでした。昔笑ってたら同級生に妖怪みたいっていわれたんですけどね。笑顔でも笑顔じゃなくても生きていけないならひきこもって文字チャットで生きていきたいですね。
「言葉がぶっきらぼうで硬い。軍隊みたい。それと言葉遣いが幼稚」「面接官も人間なんだから面接の前にまず会話しないと」「コミュニケーション経験が少ないんじゃないか」「自分以外の人を敵と思ってない?」「××さんはそういう自分への好意で人と人をつなげる職は向いてないよね。それよりは好きなものに没頭してそう」
誰も話しかけてこないし話しかけたら微妙な顔して遠ざかるしバスに乗り込んだ私の席だけとなりが空白だし友人が一人もいないとはいいませんしむしろ片手以上いるんですけど社会人としてはこの社会には私のような人間を受け入れる度量はないのでは?つまり出来損ないということですよね?
その他別の今までの方々からいわれたことを思い出してみました。
・高校の時の特に仲良しでなかった同級生
「(大学院進学を考えている、という私の台詞を受けて)ああ、××さんってそんな感じだよね」
・大学の同じゼミ生
「(公務員試験を考えていない、という私の台詞を受けて)え!?じゃあどうやって生きていくの!?」
・大学院受験×回目で希望していた教授
「(進学して卒業後公務員を考えているという私の台詞を受けて)私は××さんは民間の方があってると思うけど」
・某社のキャリアカウンセラー
「民間企業っていうより、××さんが元々志望されていた通り、研究者のように見えます」
「人に慣れてないように見えました。田舎にいって人とふれあってきたらいいんじゃないですか」
・とある企業の面接官
「××さんコミュニケーション能力あるよね。え?営業志望?営業はあってないんじゃないかな」
・友人の父親
「××さんに生きにくい世の中になったね」
なんか吐きそうになってきました。
・仕事したいです→お前本当にうちでその職に就く気があるの?
・きちんと考えたらこうこうこういう理由で御社でその職に就きたいと思いました→それ向いてないからやめた方がいいよ
つまりは先天的か後天的かわかりませんが私は人に好意を持たれない人間で、人に話しかけられることもなく、話しかけられたら逃げられ避けられ、唯一中途半端な頭の良さだけでカバーしてきたようなクソみたいな人間です。しかしその頭の良さも面接でコミュニケーション能力のなさで切り捨てられ、努力のしてなさで大学院受験で切り捨てられ、大学名の威光も卒業後の空白期間で薄れた人間に職業選択の自由なんてないんですね。
これだけいわれていて、先日内定頂いた企業は営業職だったんですけど、そちらの企業で働いていたら色んな意味でどうなっていたのか気になります。
色々いってはいますが、表題のコメントを言った企業の面接官からは志があるのならば向き不向きは関係ないとは言われたんですけれど、そうまでいわれてやるのはよっぽどの方じゃないですかね・・・。
なんか書いてて暗くなってきたので今日はここまで。
また疎外感と社会を結びつけて前書いたことをいろいろ書こうと思います。