既卒コミュ障真面目系クズが就職活動をするとこうなる

既卒四年目実務経験なしアスペルガー診断済の文系が就職するまでを予定

「シリアで何がしたいというのが見えてこない。現状から逃げたいだけじゃないか」

そうだね!!!!

 

こんにちは。内定は相変わらず取れてませんが先日初めて電話面接以外で一次面接を通過できました。しかし面接の方と話す中で「いや違ったわこの会社入りたくないし入っても多分すぐやめるわ」と思ったので辞退しました。しかし先ほど別の企業の面接があって「なんで○か月も就職活動やって就職できないんだと思いますか?」ってきかれたり「一生懸命答えてくれてるのは分かるんですけどダメだと思いますよ」っていわれたりした直後から数週間前ひたすらせっついていた親にぶちまけて以降ここ最近落ち着いていた胃痛とステータス:(常に)吐き気が一気に復活しました! ついでに数年前精神的につらかった時に起きた、寝てる時に唾が過剰分泌し起きてしまう症状もその日復活しました!数か月前短期アルバイトしたときも一か月ほど毎日朝ごはんも水も胃に収まらずゲエゲエ吐いてたし契約満了した途端治ったし人々のいういわゆる「最近の若い奴は甘えてる」ってやつだと思いますもう社会復帰できない気がしますというか相変わらず某エージェントさんだけで100社以上書類(?)送ってるにもかかわらず経験不足で一つも通ってないしこちらがいくら門をたたこうと社会復帰させてくれない気がします! 胃が痛い! 冬眠したい! 貴方に価値はないといいながら現状から逃げたら非難を浴びひきこもれば冷たい視線を向けられ社会に出るような人間じゃないから生活保護でもうけてろと罵倒し実際に保護を受けたら働けるくせにと侮蔑する!どうすればいいんですか! 冬眠させてください!!

ちなみにタイトルは先日も書きましたイスラム国に渡航しようとしていた学生にインタビューしたジャーナリストさんがニュースでおっしゃっていた言葉なんですが大体こういうニュアンスだったと思うんですけれど正確かは自信がありません。

 

さて今回はタイトルの言葉から、前の記事で予告した通り今の所感じている各会社が求めている志望動機ですとか、私が今まで受けてきた会社とハロワとのズレを繋げて、ついでに「現実逃避」について書いていきたいと思います。

 

 

○私の面接経験

私の面接経験というと色々とあるんですが、私が志望動機を練り直す発端となった面接を三つご紹介します。

「うちに入りたいんじゃなくて単に早く就職したいだけじゃないの?」

なんかもうタイトルから正直思い出したくないですが、とりあえず少し特殊な業種の面接を受けに行った時の話です。

それまで私が面接に行くとたいてい若い方が一人だったりとか、人事担当の方と社長さん2人でも堅苦しくないような面接ばかりしていましたが、そのときは違いました。人事担当の方だけでなく、社長さんや副社長さんなど、五人以上のスーツを着た男性に囲まれ、重苦しい雰囲気の中一人私は面接を受けていました。

そしてその中で自己PRや志望動機を話して、いくつか面接官の方をやり取りをして、社長さんから言われたのがタイトルの言葉です。

本心からいわれたのか、それとも圧迫面接の手ごまの一つだったのか今ではわかりませんが、もちろん口では色々ごまかしても、私は「そうだな!」と思ってしまっていました。

ちなみに先ほど申した受かった一次面接でも「入社してもすぐやめそう」といわれたんですがよっぽどやめそうなんでしょうね。確かに面接の中でこの会社で働きたくないなって思いましたけどね。

話を戻して、そこの面接で私が本当にその企業で働きたいのかよりつっこまれた質問をされたり当時の時事の影響で政治的な話になってお互いのズレを感じ結局そこは落ちましたが、面接の中でそのようなある種「きつい」ことをいわれたのは初めてで、その後その企業での面接は私にとって早く忘れたい悪夢みたいな位置づけになりました。

その後、その「早く働きたいだけじゃないのか?この会社で本当に働きたいのか?」という問題と向き合わざるをえなくなる面接がやってきます。

「今までねばったことってある?」

ある大雨の日の面接でした。

それまで紆余曲折あってこちらが面接を辞退しかけたり、向こうに連絡を取って頂いて結局面接にいったりというイベントがあったのですが、連絡をとって頂いて電話で話した時点で面接官の方と感性が合わないだろうなあというのは何となく感じ取っており、またどうせ受からないだろうし、外は大雨、せっかく面接官の方のお忙しい時間を割いて面接をして頂くのですからこのように思うことすら失礼ではありますが、やっぱり面接辞退しておけばよかった・・・と思いながらも面接に伺いました。

そちらで自己PRや志望動機を話して、面接官の方に聞かれたのがこの言葉でした。

「どんな社会人になりたいの?」

正直全く考えてませんでした。

当時はまず企業でとってもらって、そちらで求められるような、活躍できるような人材になりたいと考えていたのと、「社会人」という存在がある種「普通の家庭」のような不文律化された人類共通の幻想みたいなものだと思ってたので、「どんな社会人になりたいかって、まず社会人がさ、アレだよアレ」みたいな感じでした。その場はとりあえず当たり障りないこと(それでも真実私がそうなりたいと思っている社会人像)を申しましたがもちろん具体性がないと鼻で笑われ、次の質問をされました。

「なんで社会人になりたいの?」

なんで、っていわれても、当たり前ですよね。社会人にならないと親にせっつかれて胃痛が収まらないし、同輩や先輩や後輩にどんどん追い抜かれて追い越されていくし、労働して税金収めるのは義務だからまず労働しなきゃって感じです。働かないんでいいんだったら私だってずっと冬眠してたいです。でも社会がそれを許さないし自分も許せない。そのように真実心の底から思ったのでそう答えました。叱られました。

そんな状態で入社してもきつくなってやめてしまう。そもそもそんな気持ちで就職活動をしているのが同じく就職活動をしている人達に失礼であるといわれてしまいました。

実際はもっと色々といわれました。その一つが小タイトルにもあった「今までねばったことってある?」です。もうこのあたりになると面接官の「少しでも可能性があったら必死で食らいつく姿勢」VS私の「無理だと思ったらそれ以上くらいついても無駄なのでさっさと次に行く姿勢」という考え方や文化・性質の違いによる戦いになってしまうのでお互いが合うか合わないかになってしまうのですが、その面接官の方の言葉に対してこの人とは合わないなあとか、もう「叱ってくれている」の域を超えて「怒ってる」よなあとも思いながらも、確かにねばったことはそんなにないかもしれない、そして面接官の方の義務だとか思って働いていたらきつくなってやめてしまうという話についてはそうだなあと納得してしまったのです。

きつい面接を受けて、大雨と失意の中正直よく途中で人身事故発生させなかったな偉いなと思ってしまうのですが、ともかくそのトラウマになるような面接を終えて、しばらく面接を控えて部屋どころかベッドの中に引きこもり、私はようやっと自分のしたい仕事ってなんだろう、と考えるようになりました。そしてそれまで一人で就職活動をしていたのですが、行き詰ってしまいました。

そこで転職エージェントという選択肢を知り、だんだん道が開けてくるのですが、それは別の話になってしまうので別の機会にお話しします。

 

志望動機で嘘をつく

転職エージェントさんにいろいろお話しして、「あ、自分のしたいことってこういうことだったんじゃないか」「自己PRのやり方間違ってたんじゃないか」と思って、でもそれが固まりきらない内にとある企業の面接に伺いました。

私は楽天家でありかつマイナス思考という妙な気質を持っていまして、その日私の前の方の面接が弾んだのか、面接時間が15分ほど過ぎているにもかかわらず面接室の外に漏れ出るなごやかな笑い声を聞きながら、私は既に「ああ・・・(私があんなふうに面接官に思われるわけがないから)落ちたな・・・もうダメだ・・・」とマイナス思考を加速させていました。

そしてその後私のターンとなったわけですが、「自己紹介と、自己PRあればして下さい」と(私目線で)上からというか「ま、ないだろうけど」みたいな投げやりな面接官の態度にダメージを受けつつ、そして自己PRならまだいけるけど自己紹介は苦手なんだよなふええ><となりつつ、自己紹介をしましたが、これがダメでした。

まず数日前に「あっ違う自己PRこれじゃない!」となったのがあだになったと申しますか、履歴書に書いたはずの自己PRと別の事をしゃべりました。案の定(私目線で)面接官の方から不審な目、戸惑った視線を受けました。

そしてその具体的なエピソードを教えて下さいとなったわけですが、既卒の自己PRなんて大概大学生のときです。しかし私にとっては約2~4年前。正直細かいことどころか大まかなこともほとんど覚えてません。しかもその数日前に思いついた自己PRなのですから、練りきれていない。一応そのとき思いついたことは喋りましたが視線が上下左右に動いてより不審な印象を与えていただろうとは思います。

そしてタイトルにありました「志望動機で嘘をつく」ことになります。その前日その企業の説明会を聞いていて、「あ、もしかしてここ私がしたいこと最重要的なアレコレをメインでやってないのかな?」と思い、次に重要と考えていた「こんな社会人になりたい、貴社ではそれが実現できる、だから貴社で働きたい」ということを話すと、「貴方の夢ってなんですか?」と尋ねられました。

上で説明した2つの面接の質問がフラッシュバック!!

一応「海外旅行に行きたいとかそういう夢ですか?それとも…」と尋ねたところ「何故あなたが『こんな社会人になりたい』と思ったのかが聴きたい」と尋ねられ、一応そちらでも根拠はあったので話はしましたが、「ああ、落ちたな…」という確信を深め面接は終了しました。

珍しくそちらでは面接のフィードバックを頂いたのですが、やはり志望動機が薄いというのが主要な理由として挙げられていました。後にネットの某所でこちらの面接について書かれていたのを読むと「筆記がいけてたら面接は必ずいける」というコメントがいくつか書かれていて、筆記試験は通っていたということをお聞きしていたのでよっぽど面接が悪かったんだなとさらに落ち込みました。

ですが後に自分の「どんな仕事がしたいか」ということが明確になった際に、「やっぱりこの企業だったんじゃないか」という気持ちが強くなり、それとなく再度面接を受けられないか問い合わせて見ましたがもちろんお断りされました。今まで面接で落ちて「あの企業入って働きたかったのにな…」と落ち込んだことは何度かありますがもう一度受けられないかと本気で悩んで問い合わせたのはこれが初めてです。ある種先述した「ねばったことないんですか?」と聞いた面接官の話を実行しているのかもしれません。

ここで私が強く後悔したことが、もちろんきちんと面接の準備をしておけばよかったということですが、それ以上に強く思ったのがきちんと本当に自分がしたいことを話せばよかった、ということです。

もし私がしたいことを話して落とされたのだとしたらその企業とは合わなかったのだろうなと納得して次のステップにうつることができますが、そうでないときは本当に自分がしたいことを話したら気持ちが通じて次の選考にうつっていたかもしれない、私はその時違うと思ったけれども実際はその企業こそが私がしたいことが実現できたのかもしれない、とIFに固執してしまうからです。

就職活動を恋愛や結婚に例えることがありますが、この場合だと学生時代にお互い好きあっていたような気がしなくもないけれど告白せずに卒業して連絡を取り合っていない人間に対して、あのとき告白していたら・・・と想像するのと似ているような気がします。

ですので、「自分のしたいことは○○だけれども、この企業だとできなさそうだ。このことを話すと落とされるんじゃないか」という場合も、今後そちらの展望を見ているという可能性もあるので、後悔しないためにも、きちんと自分がどのようなことをしたいか、正直に話した方がいいと思います。

さて、こうやってかいてると自分がしたいことばかり主張してるから落ちるんじゃないかと言われそうな気がしますが、先ほどから書いてるとおり私の場合、今まで面接を受けている中で「お前本当にうちで働きたいの?」と思われて落ちたことが多いと思います。面接では自分ができること自分がしたいことを話さなくてはなりませんが実務未経験の私は大学時代の経験を話すしかありませんし、その大学生時代の経験でさえ「いや、たかが学生時代の内輪の集団での経験話されても社会人の経験とは全然違うから意味ないんだよね」というようなことをいわれることがります。とすると私が疑念を払しょくするためには「このような仕事がしたい」「(将来)このような社会人になりたい」→「御社でならできると思いました」ということを主張し、更に御社の事色々調べましたこんなに意欲がありますそこから分析すると御社が求めている人間はこういう人ですよね私はその人物像に合致していますよとアピールすることが必要なのだと思います。

※筆者は内定を取っていないため上記の説明は間違っている可能性があります

 

ハローワークで感じた「ズレ」

さてその後就職活動が迷走し、私はそれまで避けていたハローワークに足を踏み入れました。

どうして避けていたかといいますと、身内でハローワークを使って何度か転職をした人間がいるのですが、そこであまりよい転職先を示されたことがないためです。(例として挙げると仕事場で胸や尻を触られるなどのセクシャルハラスメントですとか、愛人を管理職に就けて働いてないにもかかわらずお金を回しているですとか。残業代が支払われないにもかかわらず長時間働かされて、実質時給に換算すると一時間六百円未満だったような企業で働いていたようです)

そこで驚いたのがまず沢山の人間がいたこと。せわしなく人が来て、相談スペースは並ぶ必要はほとんどありませんでしたがそれでもどの相談員の人の前にも必ず人がいました。そして仕事を探されている方とハローワークの方が相談スペースじゃないところで顔見知りなのか先生と生徒のように親しく会話していたのも印象的でした。

そこで仕事を探している人として登録するわけなのですが、私が相談員の方と話されている隣でまた別のおそらく既卒の方が相談員の方と話されていたのですが、そこで「こんな仕事がしたい」と話されていたのに対し、相談員の方が「そんなこといっても未経験なのだからとってくれるところはない。まず就職することが大事」ということをおっしゃっていました。

もちろんこの方がおっしゃっているのも真実だと思いますし、納得しますが、今まで就職活動をして何十社も受けてきた私の実感としては、

・就職をゴールにしていたら面接官にバレてしまって、「こいつすぐやめるんじゃないか?」と疑ってとってくれない

・したくない仕事どころか嫌いな仕事をしていると「何で私こんなしたくない仕事してるんだろう」と思ってしまい結局すぐやめてしまう

・正社員として経験を積んでからすぐ転職しようと思っていたら、(正社員求人の場合は特に)企業としては長く働いてくれる人を求めている為、その時点で「ズレ」が起きてしまう

だからハロワの方がおっしゃるようなとりあえず就職をゴールにしていたら落ちてしまうように思います。

ただ、私がこのような意見に至ったのは上でも述べました「ねばったことあるの?」とたずねられた方の影響なので、もしこれで結局自分のしたいことにこだわりすぎて就職できなかったら責任とって下さるんですか?と少し思ってしまいます。もちろんその結論に至ったのは私ですので私が責任を取るべきなのですけれども。

 

さてここまでうまくいかない現状とそれに格闘する私について書きましたが、これからやっとタイトルにもあり、私の名前にもなってる「現実逃避」について書きたいと思います。

シリアだけじゃない現実逃避

2014年10月17日現在、既にテレビのニュースからは消えてしまっている気がしますが、イスラム国に参加しようとシリアに渡航しようとした男子大学生の方のニュースが数日前まで話題でした。この方の「日本にいたら1,2年で自殺していたと思うし…」という言葉、そして就職に失敗して、というコメントを聞いて、幾人のキャスターの方ですとかコメンテイターの方が前のブログで述べたようなことですとか、今回のタイトルにした言葉ですとか、そういうことをおっしゃっていました。

さて今まで長々とこの長い文章を読んで下さった方でもしかしたら既に分かってる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここである二つの文を並べて見ましょう。

「シリアで何がしたいというのが見えてこない。現状から逃げたいだけじゃないか」

「うちの会社で何がしたいというのが見えてこない。現状から逃げたいだけじゃないか」

はい、シリアへの逃避があっさりと私が面接でいわれたことに変わってしまいました。ついでにもういっちょ。

「海外に留学して何がしたいというのが見えてこない。現状から逃げたいだけじゃないか」

さてこうやって並べて何が言いたいのかというと、世間的にはよいこととされる就職活動やら留学だって、簡単に現実逃避になってしまうってことですね。

ここで目的意識が~とかいうのは世の中の私的文筆家の方に任せるとして、私の周囲にも「家庭環境から逃げたくて留学した」という人が複数人いますし、思春期にありがちな「私がダメなのは今の環境がダメなんだ、今の環境を全部捨てて異世界に行ったら」というような感じで「海外に行ったら今は引っ込み思案な私でも明るくなれて友達がたくさんできて人気者になってカッコイイ(かわいい)恋人ができる」というような、「環境が変わったら自分も周囲も変えられるのではないか」といった理由で留学するような人も何人も見ています。もちろんこれは幻想で、実際留学しても恋人ができる人は大抵クラスの中心で明るくみんなを引っ張っていたグループの人ばかりです。

留学となると期日が来たら帰国しなくてはなりませんが、就職活動やシリアへの渡航となると一人暮らしをしたりイスラム国で暮らしをしたりということで環境は否応なく半永久的に変化します。ですので現実逃避という面もありますが、満足できない日常の連続や停滞が続く日々、社会の門外に締め出される日々に耐えられない、なら今目の前にある社会から別の所に移動しなくてはならない、しかし例えば学歴や実務経験のなさから、ただ日本国内で引っ越すだけでは満足できるような日々が提供できる職・日常に立ち会うことはできません。それならば例え語学の壁があったとしても、全く別の色彩を放つ社会なら自分が受け入れられるのではないか、ちやほやされるんではないか、と別社会を求めたくなる気持ちも正直わからなくもないです。少なくとも停滞がずっと続く日常というのはありえません。ですので現実打破という言葉の方が正しいような気がします。

といっても上記の私の言葉も私の今まで積み上げてきた経験から臆測でいってるだけですので、「違う」といわれることもあると思います。私は現実逃避したいですし現実打破も望んでいますがイスラム国にいきたいと思うよなアグレッシブな気持ちはありません。最近はマスな嗜好よりもより小さな集団ですとか個人個人に注視したビジネスが隆盛を迎えており、私としても一人一人違った問題をべたっとその年代特有の問題にしてしまうラベリングみたいなことはあまり好きではありませんが、承認欲求アイデンティティーの喪失といったものが主要の問題だと思います。そういえば昨日でしたか某カルっトしゅーきょーの話題がニュースでやってましたがああいうところが信者を獲得する手法も偏差値の高い大学に合格してきていざ上京してきたけれども友達ができなくて社会からの孤立感を深めた大学生を狙うのだとどこかで聞いたことがあります。伝聞で確定できないお話で申し訳ないです。

関係ないですが就職活動しないで大学院浪人していた時期に、つまり無所属だったわけですが、自分の名前などの「個」を失いかけたことがあります。特に記憶喪失に陥ったわけじゃなくって、例えば就職活動だと新卒の場合は「○○大学の××です」というように挨拶しますし、どこかの企業に所属していた場合は「株式会社××の○○です」というのだろうとおもいますけれど、私の場合は卒業したのに○○大学の~と名乗るのもおこがましい気がして、特にそういう言葉をつけずに「■■です」と自己紹介をしています。でも現在国とか地域とかのアイデンティティーが薄れていく中、個人を個人として確立させてくれているのってそういう組織への所属だと思うんですね。もしくは弁護士などの特殊な資格業でしたら職業でしょうか。しかし私はそういうものがない。ついでに経験もない。薄っぺらでからっぽで、絵にすると白紙の上に人型っぽいものを鉛筆で書いたような感じで、その鉛筆の部分が一応これまで私が組織とか関係なく培ってきた「○○××」という個人史でうっすらとあらわされるものだと思います。しかしそういう個人史で培ってきたというものは過去なわけで、現在とは切り離されています。するとその外郭さえも薄まって、そこに残るのはただの白紙。私を私だと承認してくれる人はいない。承認してもらえるような実績もない。私を私たらしめるものは過去の産物であり遠い記憶。薄まった「○○××」という外殻を持った、空っぽで、思考をする人間です。食べて息を吸って排泄して消費だけをして生産しない社会から見れば無意味で無価値な人間、それが私です。

誰からも社会参加への承認がもらえない中、ある日私は数分間ぐらい自分の存在を見失いました。

自分の名前である「○○××」という文字が自分を表しているのではなく単なる文字の羅列にみえて、自分と繋げて考えることができませんでした。千と千尋の神隠しや夢枕さんのかかれる陰陽師で名前は呪だといわれたことがありますが、多分あのとき私は新たに数字の羅列を自分を表すものとして与えられたとしても受け入れていたと思います。

高学歴ニート

あとここ数十年暴動だったり戦争が起きた国では高学歴が見合った職に就けていない割合が多かった気がします。気がしますなので間違ってる可能性も大いにありますので騙されないでください。

例えば私は転職サイトに登録してるんですけれどこんな私でもスカウトしてくれる企業はいくつかあります。しかし大概が貧弱な精神を持つ私が入社後速攻胃を痛めそうなイケイケドンドンな体育会系体質の企業だったり、ネットで少し探したらちょっとってほどじゃない量のパワハラ話が出てくる企業だったり、先に述べたような「ここ入ってもどうせ仕事嫌になってすぐやめるだろうな・・・」と求人広告だけを見てすぐ思ってしまうような、そんな企業や仕事ばかりです。やっぱり自分に見合ってない職ばっかり見てるから受からないんじゃないの?といわれそうですがどれとはいえませんが職種も企業規模も幅広く見ています。そのつもりです。

さてそのシリアへの渡航を考えた方は北大らしいですが、一般的に言えば「よい学歴」なのだと思います。その人が就職活動をしようとして、失敗して、残るのはそのようなブラック企業や、彼が自分に見合わないと考えるような仕事ばかり。さてそこで彼はそれまで思い描いていた自分の人生とのギャップに愕然とし、目の前が真っ暗になります。更に就職活動をしようとしても彼自身の人間性が受け入れられないのか、それとも経験の無さなのかわかりませんが社会から締め出されます。

彼の行き着く先はどこでしょう。

頭の中を待遇が不満にあったという理由で犯罪を起こした人やら「無敵の人」やらが頭にちらつきます。もちろん無職だから、正社員じゃないから犯罪を起こしやすいといいたいわけじゃなくって、というとそれだと就職活動をしているとはいえ無職真っ盛りの私だって犯罪を起こしてしまうことになりますからそんなこといいませんが、特にそういう勉強をしているわけじゃないので専門家の方からみたら馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、私は大体の犯罪は不満があってやると思います。お金がないという不満、待遇が改善されないという不満、自分がこんなに好きなのに相手が振り向いてくれないという不満、いつも強く当たられるという不満。そのような気持ちを満たすために商品や金を盗んだり、人を殺したりという手法で満足を得るのではないでしょうか。これもさっきの「シリアにいってテロ組織に所属するのも留学するのもどっちもいっちゃあ現実逃避ってとこあるよね!」というのに似たようなのにあてはめられるのかなあと一瞬考えがよぎりましたが犯罪、ダメ、ゼッタイ。

 

おまけ:個性について

さておまけです。個性についてです。個性のある人って大概奇人変人ですとかアクが強い人がいわれる気がしますが、「明るい人」「大人しい人」「よくしゃべる人」「周囲をよく見てる人」それも個性です。

もっと個性を出してとか、個性の強い人求むとかいわれたり書かれてたりすることがありますが、ここで私が持っている個性について書きましょう。

こちらとしては普通にしているつもりでも他人が寄ってこずに孤立する個性。

普通に道を歩いていたら知らない人に笑いながら不細工だと指摘される個性。

話すのが速すぎるついでに滑舌も悪く聞き取りにくい個性。

人前に出ると喋ってる相手にもわかるぐらいに緊張してしまう個性。

他にも色々ありますが、おそらく人はこれを個性ではなく欠点と呼ぶと思います。後半二つについては努力すれば改善できるのだから社会に出る前に修正するべきだと指摘します。というかむしろ修正しないと面接にとおることができません。

社会が求める個性とは、社会から見て汚らしくない、受け入れることができる、都合がいい、「よい個性」なのだと思います。そうでないものは短所だったり、欠点として修正すべきといわれます。

そうでない「個性」しか持っていない人間は、どうすればよいのでしょうか。